東京オリンピック開会式が自分は嫌いだ
2021年7/23に開かれた東京オリンピック開会式(以下、開会式)が自分は嫌いだ。
以下に続く文章は結局そういう感情の発露しかでしかない。開会式を楽しんでいた人を不愉快にさせて、あれだけトラブル続きの中、なんとか実施した運営の方々や現場の人々に水を差すことになってしまうと思う。
サブカルが好きで、それが否定された気がして、激情してるのかもしれない。そうにもかかわらず、少なくともツイッターでは好評でやっかんでいるだけかもしれない。でも、自分はあれが嫌いだった。
自分は開会式をみていない。ツイッターのタイムラインでどういう演出がなされたのかを追ったくらいの知識しかないので間違ったこととも書くと思う。それは本当に申し訳ありません。
”参加できないこと"の一貫性のなさ
開会式は本当にゴタゴタの中開始になった、4日ほど前に作曲担当である小山田圭吾さんが辞任になり、前日にディレクターである小林賢太郎さんが解任になった。それはもう大混乱だろう。オリンピック・パラリンピックの音楽監督である、田中知之さんが音楽を差し替えたという報道がなされていたが、本当に大変な仕事だったんだろうと想像される。
2人の外された担当について、前者は"いじめの肯定"で、後者は"ユダヤ人虐殺をネタにしたこと"が問題となっていると認識している。
前者については、自分がラジオが好きなのでラジオの意見の紹介になってしまうが、太田光さんの「あの雑誌が出版されたこと自体、当時出版停止にならなかったこと自体が緩い容認だったんじゃないか。その責任の一端は小さくとも自分たちにもあったんじゃないか」という意見も、
伊集院光さんの「あんなひどい犯罪を容認するという空気は当時にもなかった」
というのも、どちらも分かる気はする。どちらにしても、いじめの肯定をした人物、特に障がいのある同級生に対して過去に問題のある人物はふさわしくないというのは納得できる理屈だと思う。
問題は後者だ。後者は過去のネタが原因で"解任"をさせられている。これを問題とすることは結構だけれど、そうなると複数の疑問が自分には出てきてしまう。例えば、ロンドンオリンピック。
モンティパイソンは好きだし、ネットフリックスにあがっている空飛ぶサーカスに限って言えば全部見たけど、やっぱり自分には違いが分からない。小林賢太郎さんはダメでエリックアイドルはダメなのか? ロンドンオリンピックの閉会式はユーチューブの公式アカウントのアーカイブで見たけど、面白かった。修道女がスカートを捲し上げてユニオンジャックのパンツをはいてるのも、ボリウットをいじるのも、しょうもなくて面白かった。でも、あれは別に宗教を否定も、インドを植民地にしていたことを肯定もしていないと思う。それでいいのではないか? それとも、ここ9年のポリティカルコレクトの意識の向上なんだろうか?
Monty Python's Eric Idle - London 2012 Performance | Music Monday - YouTube
今回の開会式のメンバーとの整合性の取れなさも感じている。
例えば、使用されたというすぎやまこういちさんの楽曲。すぎやまこういちさんは、「LGBTQの人は(ここでは子どもを産めないことを指して)非生産的で、不当な立場にいることへの支援は必要ない。これは差別ではなく、区別だ」という意見に対して、肯定している。ご本人の言葉でなくともはっきりと肯定しているのはやはり問題だろう。
自分は人間性と作品は別ということは十分にあり得ると思うし、実際にスクエアエニックスはそういう声明を出していると報じられている。
Anti-LGBT Dragon Quest Composer Spurs Square Enix Response - GameRevolution
また、開会式に実際に登壇した市川海老蔵さんは5月末に、中国人が白人や日本人に「お前が衛生面に気を付けずに何でも食べて、爆買いをしたからコロナが広がったんだ」となじられ、「金をばらまいたんだから感謝しろ」と返すというシーンを含む歌舞伎を披露したという。
これは地獄を描くシーンとのことで、上記のようなやりとりを肯定しているわけではないのだろう。
でも、なんなのだとしたら小林賢太郎さんの解任はやはり適切ではないのか?と思ってしまう。
「ゲーム音楽は認められた」は本当なのか?
ツイッターを見てると、ゲーム音楽が認められたという意見を目にする。でも、本当にそうなのか? と自分は思ってしまう。主に思ったのは次の3点。
最初に、政治をこの話に絡めるのは筋違いかもしれない。でも、それを許してもらえば、例えば、ゲームセンターは営業時間の短縮を求められて、かつ協力金は出ないと報じられている。
これは恣意的にセンセーショナルな例を出しているだけかもしれない。でも、こういう形で十分に産業として保護されていないのにオリンピックの開会式で使われただけで、認められたといえるのかは自分は疑問だ。今回は家庭用ゲームのゲーム音楽が多く使われていたと理解しているけど、ゲームセンターのゲームもゲームだし、そこで使われている音楽もゲーム音楽だ。そこもリスペクトされて初めて"認められる"ということなんじゃないかと思う。
また、ツイッターで見ているとコンポーザーに前もって報告はされていないことが確認された。別にこれは必要な手順ではないと思う。今回はJASRAC管理委託の楽曲が多かったりしているらしいので、そこを通じて使用許可を取っているのだと思う、多分。時間がなかったという理由もあるんだろう。でも、OPの楽曲が差し替えになって、代わりの曲を作るのに4日で行っている。この期間に連絡することはできなかったんだろうか? 前日の小林賢太郎さんが解任になってから作業に入ったとしても、「事後承諾で申し訳ありませんが、オリンピックの開会式で楽曲を使います。権利関係については適切な処置を行っています」という一報を入れることはできなかったのかと感じる。
最後に、これは憶測の出ない話に立脚しているいわゆる妄言だけど、表現者とそれを使う人の問題も自分は感じてしまう。今回の開会式の演出について、特にピクトグラムの表現について小林賢太郎さんっぽい、彼の演出じゃないかという声があがっている。自分は見ていないし、ラーメンズのいくつかのコントを見たぐらいしかないので、審議の判断はできないけど、これが本当だったら酷いことだと思う。問題があるからとして抜けた人の作ったものを名前は削ったからと言って使うのは不誠実だし、エンタメ全体をバカにしているんじゃないかと感じる。そんな人たちに楽曲が使われたからって認められるってことあるのか? そんな人に認められて意味があるのか? もちろん根拠があるでないので不当な言いがかりかもしれない。
なんにせよ、この2つの点について、自分はあの開会式が嫌いだった。ツイッターで好評なのも、自分が好きなもので構成されていれば、感動できるものがあればそれでいいじゃんという空気を感じて怖かった。これまでの感染の問題も、少なくとも1か月前の段階で世論の過半数が開催に反対していたのに開催されたことも全部忘れられるようで嫌だった。「オタクはちょろいからw」で茶化して終わらせるのは腹立たしかった。
www.asahi.com 自分の主張が正しいのかわからない。別に自分はこういうエンタメとかの分野に明るいわけではないので、どういった風にこれを考えればいいかわからない。だから「いかがでしたか?」と投げかけることしかできないわけだけど、結局まとめると自分はあの開会式とそれを見ている人たちの雰囲気は嫌いだったのだ。